安達蔵馬
Kurama Adachi
gt/vo/syn
03/02
A/Akita
岡本真希
Maki Okamoto
vo/key
09/07
A/Shizuoka
板垣博之
Hiroyuki Itagaki
drums
12/19
B/Akita
伊藤祐輔
Yusuke Ito
bass
04/04
A/Akita
activity of smallmusic

前身の55&SMILE

ノリのドラムセット 蔵馬と伊藤が高校生の時に二人で「55SMILE(ゴーゴースマイル)」を結成。この頃から二人で曲作りを始める。高校卒業後、蔵馬は横浜の専門学校、伊藤は秋田県立大学と、それぞれの道へ進んだ。しかしその後も、蔵馬が曲を作っては伊藤へテープを送り作曲を続けていた。夏休みや冬休みなど長期休みには、地元に帰り親友の”ノリ”と蔵馬の家でプチライブをして遊んでいた。このときのノリの目の前でやるライブのことを「紀明君ライブ」と呼んでいた。なお、当時ドラムのいなかった二人は伊藤が持っていたリズムマシーンをドラムがわりにしていた。

ドーム・ドリーム・ライブ

二人が20歳になった2004年、地元大館の木造では日本最大級のドームである「大館樹海ドーム」で行われるライブ”ドーム・ドリーム・ライブ”に出演が決まる。同時期に蔵馬がドラムセットを購入、蔵馬の高校の同級生をドラムに加え、地元の体育館や、蔵馬の家の地下の漬物部屋で練習する。ここに55SMILEの原点がある、充実した夏休みだった。ライブ当日ドームに向かう途中でノリが事故ってしまうというハプニングもあったが、「影踏み」という名曲も誕生し、DDLライブは大成功に終わった。この後ドラムとは音信不通となる。このライブから5日後、55SMILEの初企画となる”LIVE CIRCUIT”が大館の歌笛みなみで開催。ライブハウスの無い大館でライブのできる数少ない場所である歌笛みなみに集まった有志たち、KOHさん加藤さん全ての人たちが55SMILE、SMALL MUSICにとってかけがえの無い人になりました。11月地元の文化祭にてライブ。この頃、蔵馬がバイトしていた新横浜ラーメン博物館にいる占いばぁちゃんの助言によりバンド名を「55SMILE」から「55&SMILE」に変える。

ポンポコ山音楽祭 2005年、秋田県峰浜村で行われる「峰浜村ポンポコ山音楽祭」にPOCk'の音源で応募したところ見事出演決定。しかし、ドラムのいない二人は、一か八かでノリに依頼。これまでドラムをたたいたことの無いノリに3ヶ月みっちり練習させる(実質練習したのは1ヶ月くらい)。8月14日大館イカナイトにてノリの初ライブ。このライブが幸か不幸か大成功し、ノリはライブの楽しさに目覚める。16日のLIVE CIRCUITvol.2、ポンポコ山前日の歌笛みなみでのROCK STICK05'でも好感触を得て、満を持してポンポコ山ライブへ望む。しかし、ライブ当日、リハーサルの段階でレベルの違いを見せつけられ実力の無さを痛感する。意気消沈のノリだったが大間ジロー(元オフコース)との出会いがありドラマーとして目覚める。そして年末の年越しライブ「THE LIVE WAGON FES COUNTDOWN 05/06」と共に、新時代の2006年を迎える。

バンド活動の本格化と激しいメンバーの入れ替わり

55&SMILE時代 2006年1月、蔵馬は自身のバンド「POCK'」の活動休止とともに55&SMILEの本格始動へと準備を進める。翌2月、55&SMILEの正式ドラマーとして蔵馬の専門学校の後輩の「末永君」を加える。そして4月、ようやく伊藤が上京、バンド活動が本格化する。新生55&SMILEの初ライブは5月27日@横浜B.Bストリート。持ち時間10分オーバーで店長に怒られる。6月、サポートメンバーとして、管楽器隊3人を加入する。ポップなギターロックにサックスなどの管楽器を取り入れ、新ジャンルのロックを目指すも暗中模索、メンバーとサポートの意見の食い違いなどから、あまりうまくいかず。その後トランペットのマー君が抜け、5人編成となり、この年、横浜、東京、秋田で12本のライブをこなす。

真希加入 2007年1月、サポート管楽器二人が脱退、再び3ピースとなる。2月、下北沢GARAGEで対バンした"ASTRON-FILM"の岡本ちか(いわずと知れた我がsmallmusic岡本の妹である)がサポートギターとして参加するようになる(4月まで)。3月、55&SMILE初のレコーディング、"アンテナ"、"向日葵"を収録。1st demo single 「ANTENNA」、リリース。5月、岡本つながりで姉の真希ちゃんがキーボードとして55&SMILEに加入。地元で働いていた仕事を辞め音楽活動をするために単身上京、人生を音楽にかける。同月、真希ちゃんにとっての初ライブ。彼女が奏でるメロディーは55&SMILEの未来を拓いた。しかし翌月、末永の突然の脱退。2週間後にライブが迫っている中、急遽サポートドラムとして参加してくれたのが、かねてより蔵馬が懇意にしていたバンド"gimme5"のドラマー松本さんである。これより以降55&SMILE、SMALL MUSICのサポートドラマーとして参加することになる。

smallmusicの誕生

矢上祭 7月にバンド名を変える案が挙がり、翌月バンド名を「SMALL MUSIC」に改名(現在は「smallmusic」)。 このバンド名には”こじんまりと”や”ひっそりと”音楽をするという意味がある。かつて、蔵馬の部屋で楽器を弾いていたことや、漬物小屋でバンド練習していたことを想定していると思われる。9月に2本のライブ、10月には慶應義塾大学の矢上キャンパスでの学園祭ライブと軌道に乗り始めるかと思いきや、ここで真希ちゃんと松本さんが学園祭ライブを最後に一度バンドを脱退することを宣言する。しかし、学園祭ライブが楽しかったのか、その後真希ちゃんは復活する。またこの頃、蔵馬は"LOST WEEKENDER"というバンドでギターとして参加(すぐやめる)。11月には"POCK'"のギタリストであった細川悠が練習に参加するようになる。並行してドラム探しも本腰をいれ、同じく"POCK'"のドラマーかんちゃんも練習に参加するが、結果的に悠のみがsmallmusicに正式加入する。12月には、蔵馬が好意にしている"reach up to the universe"のドラマーである森澤さんが講師を務めるドラムスクールにてショーンと出会う。

イトーんち 2008年、ショーンと松本さんをサポートドラムとしてライブ活動が活発になる。2月には高円寺CLUB LINERで対バンした"雨ニモマケズ"主催のV.A「アナログの風」の"アンテナ"をレコーディング。ドラムに松本さん、コーラスとして"white pepper"のやぁちが参加する。4月の終わりから5月頭にかけて2nd demo single「舞いあがれセカイ」をレコーディング。5月から7月にかけて精力的にライブ活動をする。8月には蔵馬と伊藤の地元である秋田県は大館市にて初の遠征ライブ行う。真希ちゃん、悠、ショーンは伊藤の実家に宿泊。初日はメンバー全員とノリも交えて伊藤の家で宴会。伊藤の親に怒られる。翌日、大館大文字祭り花火会場のステージにてライブ。観客の過半数がご年配のため質素なライブとなるが、ライブ終了後には地元の未来をになう若者たちからCDとサインを求められる人気ぶり。その後、場所を歌笛みなみへと移してこの日2回目のライブ。55&SMILEの復活ライブや、KOHさんの演奏、秋田で活動する桜庭さんのバンド、そしてsmallmusicのライブと最高に盛り上がりました。この秋田遠征を機にバンド内の団結力もますます高まり、ライブパフォーマンスにも成長を見せる。

メンバーの入れ代わりが激しいsmallmusic

11月、高円寺CLUB LINERにて初の自主企画ライブ「POP OR DIE」を行う。同時にサポートとしてドラムをつとめてきた松本さんが脱退。代わって現"BABYSTAR"のドラマーである高橋洋祐が正式メンバーとして加入。
2009年3月、ギターの悠が脱退。4月、デモとしてワンダース、Light the lightをレコーディング。5月17日の新高円寺でのライブをもって高橋洋祐が脱退。6月のライブをブリキロケットのさっちーをサポートドラムとして、7月のライブを千葉さんをサポートドラムとして行う。7月以降は一時ライブを休止し新曲作りとレコーディングに励む。10月、レコーディングを終え4枚目デモシングルとなる「SHINING」を完成させる。

2010年のsmallmusic

4thdemoを完成させたあたりからサポートドラムとして板垣博之が加わる。2010年4月、1st single「瞬いた」をリリース。6月、名古屋、大阪へ遠征、東京で自主企画ライブ「ストイックパーティー」を行う。その後、板垣博之が正式にメンバーに加入。
8月、音楽レーベル「Clear」の企画ライブに参加し、オムニバスCD「SHIMOKITAZAWA UNITED 01」を収録。

2011年のsmallmusic

現在、レコーディングにむけて絶賛練習中!!ライブもがんばってます!!


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